僕を形作る言葉

最近ずっと地に足がついてない感じが続いてるのは何なんだろうか。

自分自身原因は良くわかってないです。

人のことを考えると自分のことを考えなくなってしまうのが最近の僕なのでそこが自分を少し地面から浮かせてる要素なんじゃないかと感じます。

自分のことも上手く考えて行動できるようになったらいいなと思ってます。

今自分に

何が必要なのか。

何が自分の枷になっているのか。

そのことは自分でも簡単にわかる。

 

課題、レポート、授業に追われ、親に教習を催促され、朝昼に心を休める時間が取れず八方塞がりな状態が続いてしまっている印象が僕自身感じてます。

夜にする僕の趣味がその八方塞がりから救ってくれているのだなとひしひしと感じるばかりです。

その趣味に色をつけ、綺麗にしてくれることが僕にとってどれだけの財産となり、生きるための希望、大切な時間になるのかは自分が1番強く感じます。

自分の辛いと思う時間、人生のターニングポイントに寄り添ってくれる人を僕は心の底から大事にし死ぬまで切れない縁でいます。

それが僕が最低でもできる最高の感謝の表現です。

 

自分の存在価値がいかに低くて

周りの人間の価値がいかに自分にとって

高いものなのか。

正直僕は自分の生き方に誇りを持っています。

が、自分が周りに迷惑をかけたくなくてもかけてしまうことがどうしても起きてしまうことが泣きそうになるほど辛いです。

ゴメンネホンマニ。

 

自分の価値は「言葉」に現れます。

悪口、陰口を言えばその人の価値は落ちます。

逆に褒めるもとい、何も言わないだけでもその人の価値は格段に上がるでしょう。

悪口を言ってどんないいことがありますか?

ないでしょう。自分がスッキリするだけ。

根本的な解決にならん。

悪口を言った人の印象が悪くなるのはその人が自分は自己中心的だ、協調性が欠如している人間だと自己紹介をしているようなものだから。と本能的に感じるからだと考えます。

 

 

人というのは面白いもので

「慣れると忘れる」ということが起きます。

自分と仲良い人、悪い人。

良くも悪くも今の自分を形作っているのは両者です。

仲良い人とは波長を合わせ

仲悪い人とは波長を乱す。

真の協調性は自分が嫌だなと思う頼み事やミッションを課された時にそのクオリティに露呈します。

仲悪い人だろうが

仲良い人だろうが

みんな大切な財産だろう。

 

 

「お願い事は試され事」

みんなが心に持っておいて

損はない言葉だと思います。

 

「当たり前の日常が当たり前じゃなくなる前に。」

この言葉を僕は常に大切にしています。

皆さんはどんな言葉と

人生を歩んで行きたいでしょうか?